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お題:紫陽花

とうとう梅雨入りし、傘が手放せない日々が続いている。朝は晴れていても、夕刻には雨雲が立ち込める事がよくあった。私はその度に、少し憂鬱な気持ちになりながら、折り畳み傘を鞄から取り出す。濃い青色をした折り畳み傘は、以前母親から贈られたものだ。落ち着いた色合いが私にはまだ大人っぽく感じられて、この傘を手にする時は背筋が伸びる思いだった。ぽつぽつと傘に落ちる雨音を聞きながら、自宅へと足早に歩く。アスファルトには小さな水溜りが出来ていて、ひとつふたつと数えながら避けて歩いた。信号の光も、車のヘッドライトの光も、少し滲んで見える様な気がした。雨は世界の境界を滲ませ、曖昧にさせる。

いつつめの水溜りに、濃い紫色が映り込んでいるのを見てふと顔を上げる。近所の公園の入り口にある紫陽花である。濃い紫色に、雨の雫を乗せてさながらダイヤモンドが、輝いている様であった。そう言えば、と手持ちの折り畳み傘に目を向ける。こちらは濃い青色をしていた。どことなく紫陽花らしい色合いで、私は久し振りに憂鬱な気持ちが霧散するのを感じた。暫く紫陽花を眺めて、帰路の途中だった事を思い出しその場から歩き出す。足取りは自然と軽くなっていた。

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誰の所為でもない、という風に慰める人間の気が知れないと思う。事故でも事件でも、責任は一人の人間にある筈なのだ。

コンクリートをぬらぬらと赤い液が流れているのを見て、辺りの血生臭いような鉄のような匂いに溜息を吐く。野次馬のざわめきからは、今しがた起こったこの事故の状況が断片的に聞き取れた。子供が飛び出してきて車が止まり切れなかった、という事故らしい。子供は赤信号と気付かずに車道へと出てきたようで、青信号で直進してきた車に轢かれたのだ。真っ赤な血溜まりに浮かぶ子供の体は、車体の下に潜り込み手足がおかしな方向に曲がっている。これは助からないだろうな、頭の中で独り言のように言葉が浮かぶ。運転手は軽傷で済んだらしく青ざめた顔をして、べっこりへこんだ車体を見つめていた。子供の母親だろうか、車体の近くで泣き崩れている女が居る。誰かが通報したのか警察車両や救急車がやってきた。こういう光景を実際に目の当たりにしたのは、初めてのことだ。辺りがこの事故の関係者や、警官ばかりになってくると野次馬は少しずつ散り散りになっていく。母親は未だ泣き叫んでおり車を運転していた男に、何かを言っていた。その運転手の男は母親の声が聞こえていないようで、赤くなった自分のシャツをぎゅっと握ったまま動かない。男には轢いた子供を助けようという意思はあったのだ。衝撃音の後、すぐに男が慌てて車から飛び出して車体の下を覗き込んでいるのを、自分は見ていた。だが、子供は車体に引っ掛かっているようで、引き摺り出すことが出来なかったのだ。近くに居た人間が男に声を掛け、一緒に子供を引っ張っていたが結果は同じだった。母親も子供の血に塗れながら地面に這うようにして、子供に声を掛け続けていた。それを自分はただ傍観していたのだ。ある程度この事故の今後の予測もついたので、イヤホンを耳に嵌め込み野次馬の群れから抜け出す。恐らく子供は助からないだろう。あれだけの出血をしていれば、ショック死もあり得そうだ。例え助かったとしても、身体や脳へのダメージは残るだろう。これだけの事故なら夜のニュースで、少しは流れるだろうか。MP3プレーヤーの再生ボタンを押して、流れ始めた音楽に意識がいく。

今回の事故は誰の所為だろうか。飛び出した子供か、車の運転手か、轢かれた子供の母親か。
それとも、子供が飛び出してくる段階から一部始終傍観していた、自分か。

(誰の所為でもない、なんて言うなよ。)

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冷たい冬の空気を更に冷やすように、空から雨が落ちる。空気を冷やし、コンクリートを色濃く浸食していく様子を教室の窓から見ていた。
空を覆う雲は濃い灰色に染まり、町全体を包み込んでしまいそうだ。

「降ってきたんだ。」

ひょいと隣に現れて、いつもの笑顔を浮かべる。傘持ってきてないんだよなあ、と溜息を吐くその姿を見ながら濡れて帰れと返す。すっかり濃く濡れた校庭や、その先にある道路を見つめる。雨に霞む遠くの家の屋根を見てやはり雨は嫌だなと思う。アルミサッシを指で撫でながら外気との気温差を思って憂鬱になった。指先からじわりじわりと冷える感覚に、軽く身震いしてから手を引っ込める。

「一緒帰ろうよ。」
「…傘には、いれないから。」

ああ、雨は嫌だ。こいつの魂胆は目に見えているから、余計に嫌だ。雨の日の帰りのホームルームが終わった後に、必ず声を掛けてくるこいつが気に食わない。今時相合傘をしたいだなんていう男子はこれまで出会わなかった。明確に言葉として言われたことはないが、この男は態度や声色でそれとなく訴えかけてくるのだ。気付いて欲しいとでも淡い期待を持っているのだろうか。全くもって図々しいこと、この上ない。気付いて欲しいだなんて愛の押し売りにすぎない。

ああ、雨は嫌だ。
私はこいつがロッカーに折り畳み傘を隠し持っていることを知っている。

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冬の夜は足早にやってくる。すっかり暗くなった道を歩きながら、街頭が立ち並ぶ住宅街を進む。放課後に公園で遊んで帰ることは冬になっても変わらず習慣として残っており、学校が終われば友達と連れ立って遊びに行くのだ。この町は十七時になるとチャイムが響く。今でもテープで流されているそのチャイムの放送は、所々ぶつぶつと途切れて聞こえてくる。恐らくどこの町でもあるのだろうお決まりの「良い子のみんなはおうちに帰りましょう」とアナウンスが流れた。そのチャイムが鳴ると、一人また一人と帰って行くので自分も帰るのだ。(あの家、に。)

僕は家が嫌いだった。
母さんは優しいし、父さんは厳しいけれどそれでも好きだ。そんな理想の両親である二人と僕の三人が住んでいる集合住宅は、築年数は古いが十分な広さだった。何故その普通の暮らしであるものが嫌いなのかというと、家に帰っても一人だからだ。両親は共働きで帰りが遅くなることが多い。小学生に上がる前は母さんは働いていなかったが、僕が小学生に上がった頃から働き始めた。夕食は母さんが作っておいてくれたものを温め直して食べたり、簡単だけれど自分で作ることも覚えた。家に帰って一人で居る時間があてどなく膨大な時間のように感じて憂鬱になるのだ。ランドセルの中から家の鍵を取り出して、無人の家の鍵を開けてただいまと言う。当然返事は返ってこない。もうこれにも慣れてしまった。靴を脱ぎ手洗いとうがいをしてから、リビングのテーブルを見る。今日の夕飯は、ハンバーグとサラダらしい。公園で遊び疲れた体は空腹に小さく泣いた。冷凍庫から一人分の米が詰められたタッパを取り出して、レンジで解凍をする。微かな唸りを上げて黙々と米を温めているレンジの光をぼんやりと見つめる。明るいオレンジに光るレンジの中は、この家よりもよっぽど温かいだろうなと思った。

「いつも、一人なのか。」

突如聞こえた声に、レンジの光に引き込まれていた意識が全て持って行かれた。テレビをつけた覚えはないし、この家には自分以外は居ない筈だ。恐る恐る振り返ると電気を点けていないキッチンの奥に、夜のような黒い服を着た男が立っていた。黒く長い前髪の隙間から覗く肌が恐ろしく白くて、まるでこの世のものでないようだと感じた。家に入ってきたというよりもそこに湧いて現れたようである。切れ長の目を細めてじっと僕のことを見る目は氷よりも冷たそうだ。

「誰、なの。」

漸く振り絞った声は、乾いた唇を微かに震わせた。この得体の知れない男が怖かった。今すぐにでも逃げ出したかったが、恐怖で足が竦んで動かない。
目を逸らすことも出来ずにその男の答えをただじっと待つ。レンジのチンという間抜けな音がキッチンに響いた。

「私は、誰でもない。強いて言えば、この世界の闇であると言える。」
「やみ?」
「子供のお前には分からないかもしれないが、世の中には醜い物事が多いのだよ。それは人々の感情だったり、するのだがね。」

そう言って一歩こちらへと歩みを進める男に反射のようにして、一歩後ずさる。男の言っていることはよく分からなかった。深く沈むような低音の声が鼓膜に貼り付いてしまわないか心配になる。暖房が効き始めた部屋は徐々に暖まって来ている筈なのに、この男の周りの空気だけは外と同じかそれよりも冷えていた。醜い物事、それが今の自分にはまだよく分からないがきっと心の底に自分も持っているのだろうとぼんやりと思う。

「お前は、自分を一人にして働いている両親に不満を持っているのだな。」
「違う、そんなことない!」

いきなり自分でも気付かないようにしていた核心部分へと踏み込まれて、思わず声を荒げる。この男は何者なのだろうか。自分の心の中が分かるのだろうか。あの氷のような冷たい黒目は、心の中を氷で突き刺してどろどろにしてしまう力があるのかもしれない。気が付かないうちに自分の目に涙が溜まってきて、ぼんやりと男の輪郭が部屋の暗がりに溶ける。トレーナーの袖で目元を拭い、慌てて視線を男が居た暗がりに戻す。しかし、男はそこには居なかった。ぞわりと全身に鳥肌が立つのを感じる。半ばパニックになりながら、辺りを見回すがどこにも居ない。電気が点いているリビングにもリビングと一続きになっていて明かりが柔らかく照らすキッチンにも居ない。心臓の音がどくどくと脈打ち、背筋を冷たい汗が流れる。

「私はお前の幸せを手に入れる為の力を持っている。」

背後に凍り付く様な冷気を感じて、慌てて逃げる。キッチンの奥へと逃げ込んでしまいしまった、と思った時にはもう遅かった。大して広くもないキッチンで男との距離を保つことは、絶望的だった。逃げ場を失い背後の残酷にまで硬く白い壁に爪を立てる。ぴきり、と爪が割れる音がしたが痛みもなかった。それよりも目の前に居るこの男へ向けている神経の数が多いのだ。危機的状況に陥ると人は痛みすら忘れてしまうのか、とどこか冷静な頭の片隅が呟く。

「僕、の…幸せ。」
「お前が両親に対して持っている不満の感情が、私をここへ呼んだのだ。私はお前の望みを叶えることが出来る。」
「僕は、呼んでない。」
「お前の不満の感情は闇の一部になっているのだ。」

闇の一部、口の中でもう一度反芻してその言葉を飲み込む。男の言葉は難解で理解し難いものがあるが、僕を殺すつもりでここへ来たのではないらしい。もし殺すつもりであれば僕は既に死んでいるだろうし、ここで会話をしていることもないだろう。男への警戒心は解かぬまま少しでも距離を空けようと壁づたいに、一歩遠ざかる。にやりと弧を描いて笑う口は、口裂け女のように裂けて真っ赤な口内に思わず目を見張る。その口の中から冷気や何か恐ろしいものが出ているような錯覚に陥る。胸の前で拳を握ったまま何とかして恐怖に耐えていたが、ついには足がぽきりと折れてしまったようにしてキッチンの一番奥に座りこんでしまった。まだこの時間では両親は帰ってこないし、大声を出して助けを求めても助けてくれるような人が近くには居ない。自分に対して攻撃してこないとは言えこの男とこの場に居ることは、とてつもなく神経をすり減らすことであって出来ることなら逃げ出したかった。動作の音が全くしない男は空気を滑るようにして、僕の目線の高さへとしゃがみ込む。近い距離で見ると男は意外にも端整な顔立ちをしていて、まだ年齢は若いような印象を受けた。弧を描いて開いていた口は閉じて、言葉は発していない筈なのに頭の中に低く声が響く。

『お前の望むことをひとつだけ叶えることができる。』

響く声に脳を揺さぶられながら目の前の男から視線が外せないで、その黒い両目をじっと見つめる。

(僕の、望むこと…。)

頭に響く声に答えられないまま何分も過ぎて行く。時が止まった様にも感じる。

「私はお前次第では聖母マリアのような優しさも持つが、逆に悪魔のような残虐なことも平気で出来るぞ。」

男はそう言って、目を細めて歪んだ笑顔を作る。そっと頭を撫でる手はやはり真白な作り物のような手で異質な物のようである。しかし、意外にも男の手は低体温ではあるが人並みの熱を帯びていたのだ。

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屋上から見る空が好きだ。いつだったかそう言ったあの人は夜空の下、星空を見上げてここで缶ビールを空けた。屋上についている柵に肘をついてぼんやりと町の灯りを見ながら、その言葉を聞いていた。あの人は自分の家に来ては月見酒でもしようと、コンビニの袋に缶ビールと僅かなつまみを携えて来るのだ。何度となくその月見酒とやらに付き合っているうちに自分の中にもすっかりそれが習慣として定着しつつあった。慣れというものは音を立てずに忍び寄り、浸食していくものだ。その月見酒が自分の習慣になっていたと気が付いたのは、あの人が居なくなってから七日後のことだった。

あの人の住んでいる場所は、所謂閑静な住宅街というやつだった。何回か訪ねたことはあったが広い部屋に、僅かな物と冷蔵庫の中のビールしか記憶にはない。一方自分が住んでいる場所は駅からも近く便利な場所だが、常に町のざわめきが聞こえる所だった。安いアパートの一室で暮らす自分とあの人とでは、あまりにも生活格差があった。一度自分の家で月見酒をしないのか聞いたことがある。その答えは、お前が居ないとつまらなくて飲む気がしないのだよというものだった。答えになっているのかどうかよく分からない回答で、自分は黙っていたがあの人は満足そうに笑っていた。生活も思想も女の好みも、あの人のことは分かるようで分からなかったと思う。説得力があるように言ってみせるのだけれど、よくよく考えてみればあの人の言葉には矛盾も多くあった。それに気付いてあの野郎と思うのだが、次に会う時には都合よく忘れてしまっていた。自分の脳みその忘れっぽさには、ほとほと困っていたがこういうことにはなかなかの威力を発揮してくれる。

あの人がこの世界からぷっつりと消えてしまってから自分の生活が、酷く味気なくなってしまった。毎日同じ時間に起き、仕事をこなして、家に帰ってから屋上で月が出ていなくても酒を飲む。教えられた訳でもないのにそうしなくてはいけないような気がして、いつも缶ビールはあの人の分も用意している。自分が飲む前にあの人の分のビールを開けて、缶を傾けていつも座っていた場所にビールを少しずつ零す。安い酒の匂いと、じわりとコンクリを染めるそのビールは床を伝い排水溝に流れ込む。そうやって一本空けたら今度は自分の分のビールを飲む。どうしてもあの人より先に飲む気にはなれないので、自分はビールで濡れたコンクリの横に座って少しずつ飲むのだった。

「あなたが居ないと飲んでもつまらないな。」

飲み終えた缶ビールの空き缶に煙草の灰を落としながら、誰にともなくそう呟く。あの人のタチが悪い所は、忘れさせてくれないことだと思う。未だこうして習慣として残った、月見酒をやめることはいつだって出来た。それが出来なかったのはこの場所でのあの人の記憶が、鮮明に残り過ぎている所為だ。

(お前はその頭だからすぐ忘れるだろうよ、と笑っていたあの人はこの状況も予想していた。)

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乾燥して砂埃の舞う駅前に集まった人々は、手に日の丸の旗を持っている。戦地に向かう男たちを見送る女子供や、老人の顔は皆笑顔だ。私はまだ五つの弟を連れて、その人だかりの中から抜け出した。空の青さだけがやけに際立って見えて、少し悲しかった。

兄に赤紙が着たのは、一週間ほど前のことだった。元々兄はあまり体が強くなかった。一回目の時はそれを理由に、徴兵を免除されていた。これで兄は戦地へ行くことはないと安堵したのだ。物静かで書物を読むことが好きな兄に、私は殺しをして欲しくはなかったのだ。

父が戦地へ向かい、暫らく便りがきていなかったので私は心配していた。なんとなく家族は察知していたが誰一人として、そのことを口にする者はいなかった。それから程なくして、父が戦地で玉砕したとの通達があった。母は父は立派に戦ってお国の為に、桜になったのよと笑って言った。だが、私はその晩母が一人で泣いているのを偶然見ている。気丈な人である母が声を殺して泣いている姿を見て、私は声を掛けることも出来なかった。漠然とこれ以上、人を死なせる訳にはいかないと思ったのだ。だからと言って私に何が出来ると言えば、何もなかった。ただ、毎日ラジオから流れる戦局を伝える音声を聞きながら、戦争が終わることを待つことしか出来なかった。

「どうした、そんな顔をして。」

少し離れた場所で廃材の山に座り込んでいた私と弟の前に、兄がやってきた。着なれていない軍服に身を包み、極僅かの荷物と水筒を肩に掛けている兄はどこか気恥ずかしそうだ。今日、この町からは三人が戦地へと向かう。兄の他には、一本向こうの筋の家の人と、駅を挟んで私の家とは反対にある金物屋の息子だ。狭い町だったので付き合いは然程なくても顔は両方共知っていた。時折拍手と歓声が上がる、駅前の人だかりを見て意識しないうちに溜息を吐いた。

「兄さんには、行って欲しくない。」
「今回ばかりは仕方ない。」

困ったように笑う兄は、頭を撫でながら家を頼むぞと言った。その時の兄の目は人の良い笑顔を浮かべているいつもの兄とは、違っていた。ああ、兄もきっと自分の未来は予感しているのだろう。度重なる空襲、少ない配給、戦局は厳しいのではないかという噂。不安になる要素は多過ぎるほどにあった。それでも兄は見送りの人々に笑ってみせ、立派にお国の為に戦ってまいります、とお決まりの台詞を言っていた。

「まだ、コイツは小さいからな。ちゃんと見てやっててくれ。」

弟も兄と別れることは分かっているらしく、神妙な顔つきで黙っていた。良い子にしているんだぞという兄に頷いてみせて、弟は兄の腰に腕を回して抱きついた。細身な兄は腕も足も前より随分と細くなり、掌も薄く骨ばっている。何も言わずに弟の頭を撫でながら、兄はゆっくり目を閉じる。その数秒もしない僅かな時間は、何かを決意しているようにも見えた。

「兄さん、」
「大丈夫だ、もうすぐ戦争は終わる。そうしたら、勉強でも教えてやるよ。」

その約束は兄はまたここへ私の元へと帰って来てくれるという、微かな希望に感じられた。先程人々に言っていた言葉とはまるで逆の言葉だが、私はこの兄の言葉を信じている。暗に込められた、必ず帰ってくるという意思が感じられる言葉を胸に私は母と弟を、守るという決心を固めた。

「気を付けて行ってきて下さい。」
「ああ、行ってくるよ。」

遠くから聞こえる汽車の音に、顔を上げる。よく晴れた日に旅立った兄から便りが届くことは一度もなかった。

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砂浜に埋めるようにアダンの実を並べる指先を見つめる。白い砂浜にオレンジ色の実が並んでいる様子は、なかなかの良い色調だった。何個か並べてみては、少し考えてまた位置を変えたりしている。
「何を作っているのですか。」

波の音に消されない程度の声で、問うと彼女は顔を上げた。眉下で切り揃えられた黒い前髪が潮風に揺れる。少し驚いたような顔をしてからにこりと笑うとまたひとつ、アダンを置く。

「墓場よ。」

風に舞う髪の毛を耳に掛けながら、そう言う彼女の顔は嬉しそうだった。言葉とは不釣り合いなその表情に違和感を感じながら、隣へと腰を下ろす。波打ち際では子供や観光客が、それぞれ海水浴を楽しんでいた。海水に浸かっている人々を見て、温泉じゃないのになと思う。どうせ海に来ているのだから、潜れば良い。そうした空想を巡らせている間も彼女は何も言わずに、アダンの実を砂浜に並べる。暫らく黙ってその様子を見ていると、唐突に言葉が鼓膜に流れ出す。

「戦争の時に死んだ人の骨って、どこにあると思う?」
「私には見当もつきませんよ。」

そう言って、彼女が並べたアダンの実を一粒摘み上げる。彼女は私の指先にあるアダンを見て、それはお祖父さんなのと言った。まだ真上にある太陽は、砂浜を白く焼き尽くしている。その光が反射して眩しくて目を細める。手に持っていたアダンの実を彼女に渡すと、元の場所に置いた。

「たくさんの人が死んで、骨はこの砂浜の下にあるのよ。」

砂浜が白いのは骨が潰されて砕けて枯れ果てたからだと彼女は言う。アダンの実は焼け爛れた体のようにも見えた。皮膚の層を焼いて、細胞膜に包まれる柔らかな肉のようだった。

「この場所は、戦場だったのですね。」
「これから、またなるのよ。」


(あの夏に彼女は死んでいた。)


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※グロ表現注意※

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私の朝は、トーストとヨーグルト、そして2.5錠と2カプセルの5種類の薬を飲み込む事で始まる。徐々に効果が現れ、頭の中が澄み切った空の様になる。どんよりと眠たかったのが嘘の様に。他人に言わせれば、薬物依存と言われるだろう。でも、これらの薬は、私が人間らしくある為に必要不可欠だった。

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此処は静かな森であった。木々のざわめきと鳥の囀りが聞こえる、何にも支配されていない生き物達が暮らしていた。そこが人間の住宅地開発の為に、山を削られる事になった。私達、生き物の穏やかな生活や、平和等お構いなしだった。トラクターの走る音、ショベルカーで山を削る音が響く森へと変わった。

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