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柔らかな絹糸のような髪の毛をしている。それが彼女に対しての、第一印象であった。黒髪と色白な横顔が今でも、すぐに思い出せる。正義感が強く、困っている人を放って置けない優しさが好きだった。マフラーを巻いて零れ落ちる、後頭部のふんわりとした髪の毛が可愛らしかった。今思えば、あれは恋というものだったのかもしれない。気がつけば視線で彼女を追いかけていた。彼女は今頃何をしているだろうか。幸せに暮らしていて欲しい。そして、あの澄んだ瞳であらゆる物を見ていてくれたら、自分はそれだけでも充分な程に満足感が得られる。どうか、どうか花の咲くような笑顔でいて欲しい。自分勝手かもしれないが、それが唯一の願いだった。
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ぱたりと本を閉じる音がして、視線を上げる。満足そうに、本の表紙を見ていた。「面白かった?」一言だけ問う。少しだけ間を空けてぽつりと「まあ、それなりに…。」と何やら歯切れの悪い返事がきた。しかし「面白くない。」とは言わなかった。彼が自分の心の内を伝えるのが難しいと知っていたので、余程面白かったのだろうと想像する。彼は本を読み終わった後、頭の中の空想世界に旅立つことが度々あった。誰が話し掛けても、肩を揺すってみても、うんともすんとも言わないのだ。こちらが諦めかけて別のことをしていると、自然と空想世界から戻ってきていた。きっと読んだ本の内容を頭の中で組み立てているのだろう。「その本、私も読みたいな。」そう言うと、彼は例の本を此方へと寄越した。私は本が読みたい訳ではなく、彼のことを知りたいのだ。読み終わった後に、いつもそれを読ませて欲しいと頼む。こうしてまた彼の知らない一面を見つけていくのが、今の私にとって、かけがえのないことであった。
しとしと、小雨が落ちてくる。傘に当たって弾けた雨粒が、次々に傘の上を滑り落ちて雑踏に消えてゆく。信号は赤だった。道路脇のラインよりも幾分か後ろへ立つ。信号が青になり、最初の一歩を踏み出す。雑踏の騒めきがより一層聞こえるようになる。この人々にもそれぞれの人生があり、命がある。次に会うことも無いだろう。鞄を頭上に掲げて走って行く人もいた。ぽつりぽつりと鳴る傘は、雨の日にしか使えない特別な音が聞こえる。傘から滴る水滴が落ちる。まるで死んでしまうかのように見えた、少しだけ可哀想に思った。必死に傘の表面に、留まろうとしても、重力には勝てない。次々と傘にぶつかる雨粒は、命が尽きるときの音だろうか。自分の命も最期はこうして尽きるのだろうか。
貴方が褒めてくれた髪を未だに伸ばしているのは、少し重いでしょうか。もう二度と会うことはできないけれど、それでも私はあの時貴方に言われた言葉がどれ程嬉しかったかをよく覚えています。私はどちらかと言えば直毛で線の太い、しっかりした髪の毛をしていました。しかし、あまり女の子らしくないその強い髪の毛を見て貴方は「吸い込まれそうな黒だ。他の誰にも無い色だね。」とふわり優しく微笑んで、私の髪の毛をゆっくり感触を確かめるよう撫でました。あの時は、叫び出したいほど恥ずかしかったのです。前日にもっと丁寧に髪の毛を梳かして、綺麗にしておけばよかったとあれほど後悔した日もそうありませんでした。私はまだ、髪の毛を伸ばしています。遠くの貴方を思いながら。
鳥の鳴き声や、咲く花々により季節を感じることができるのはとても幸せなことだ。自分と外の世界を繋ぐのは、四角い窓だけであった。そこから見える雲の形や、日の時間を見て、ぼんやりと季節の変化を感じていた。とある病気で、自分は入院をしていた。どうやら珍しい症例らしく、個室を用意されていた。これは、中々悪い気はしなかった。1日のうち、点滴や採血の時間以外は、大抵は時間を持て余していた。四角い窓から見える、青空を眺めて時間を潰すようになった。なんとなく毎日眺めているだけだが、日によって同じ物は無く興味を唆られた。ふわりと浮かぶ雲や、大きな入道雲など、同じものは次の日には無いのだ。それは、とても尊い物ように思えた。
私は道端に転がる、小さな石であった。たまに踏まれたり蹴飛ばされたりする以外は、存外に平和なものである。ひたすら時間を浪費して過ごしていた。こうして時間の浪費を日々繰り返していると、妙な思考癖がついてくる。頭の中にもう1人自分がいるような感覚に陥る(石に人格だなんておかしな話かもしれないが、事実である)。ころり、と蹴飛ばされるその時その人間の顔を見る。サラリーマン風の男性であったが、忙しなさそうに腕時計を見て、何やら遅刻をしそうな雰囲気だった。もし、自分がこの男性であったら、どのような人生になったであろうか。そう考える癖がいつの間にかつくようになっていた。私はちいさな石ころながら、多種多様な人生を空想し今日も時間を浪費する。
貴方は私のことを、勿体無いほどに大切にして下さいます。私は、料理も裁縫も茶もせいぜい、人並み程度です。それでも貴方が褒めて下さると、私は恥ずかしい気持ちもありますが嬉しさの方が大きく勝るのです。「ほら、見ろ。雪だぞ。」ふと縁側で新聞を広げている貴方を見やると、その先にはちらりちらりと音もなく雪が舞っている。積りはしないかもしれないが、寒さに用心することはない。「貴方、これを羽織りなさいな。風邪を引いてしまうわ。」紺色の半纏を手渡すと、俺は丈夫な方だけどなあとぼやく声が聞こえた。空はどんよりとしては居るが、日の光が僅かに透けている。その様は見ていて絵になるようだとも思った。「貴方、囲炉裏は如何ですか?」何度目かの、薄い緑茶を湯飲みに注ぎながら尋ねると。うーん、と伸びをした。「そうだな、囲炉裏から見る縁側も乙であろうね。」と、広げた新聞と湯飲みを持ってのそりのそりと囲炉裏の側へと移っていく。「冬はいいね。」と少し猫背の貴方は言う。「何がですか?」と私は問う。家事をする身からすれば、暖かい方が断然好きな訳だが。「君が、僕にあれこれ世話を焼いてくれる。僕はそれが好きなんだ。君と沢山話せるじゃないか。」と貴方は恥ずかしげもなくそう言うのです。私は自分の顔が紅潮していくのが分かり、少し顔を背けながら自分の小さい湯飲みに茶を淹れて誤魔化した。
ことり、と目の前の卓に少し薄めの緑茶が入った湯飲みが置かれる。私が薄めの緑茶が、好みなのを知ってかいつもこの変わらない茶を淹れる。「お茶が入りましたよ。」食後の片付けや、諸々の家事をこなした妻と卓を挟んで座り、茶を飲む。最初の辺りは自分が茶を淹れてくれないかと頼んだのが、この習慣のきっかけだったかもしれない。会話がある日もあれば、ない日もある。幸いなことにそれが、苦痛や不安を伴わないのだ。「ありがとう。」湯飲みを掌で包み、一口。嗚呼、いつもの味だ。すっきりとした味の緑茶が、やはり好みだ。「貴方、今日は野良猫がきましたよ。」へえ、珍しいこともあるものだと雰囲気だけで返答しまた湯飲みに口をつける。妻はそれを特に咎めずに、話を続けていく。「とても綺麗な三毛猫でしてね。可愛い声で鳴くのですよ。」妻は目の前にその猫がいるかのように、嬉しそうに話す。「最近じゃ珍しいな。野良猫がまだいるのか。」ポツリと、独り言のように呟く。保健所やら何やらが多く処分したと聞いたことがあった。自分が子供の頃に比べれば、随分数は減ったのではないだろうか。「猫は強いですからね、少しのことではへこたれませんよ。」まるで猫の気持ちを代弁しているような口ぶりだった。自分は、妻がこうして空想をやや交えながら話すのを聞くのが何より好きだった。「また、来るといいなあ。」と妻は楽しみそうに、軒先に視線を向けた。空は墨色に染まり、所々に星が光っているばかりであった。
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