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鋭い痛みの後に、じわりとした鉄臭さが鼻をついた。思わず身体を強張らせると心配そうにこちらを見ているのに気がつく。特にその視線に対する返事はしなかったが、相手もそれを期待していなかったようだ。上の空だった思考から現実に引き戻され、舌打ちをする。久し振りに口を思い切り噛んでしまっていた。下唇の内側、左側の犬歯の近くを舌でなぞる。傷は然程深くないようだが、ぷくりと腫れていた。嗚呼、これはきっとよく滲みるやつだ。僅かな異変に気が付いて覗き込んでくる大きな目。酷く不機嫌そうな顔をした自分が写り込む目を見つめ返す。左手の人差し指で、下唇を引っ張り小さな傷口を見せてやる。これはなかなか…、と神妙な顔つきでよく分からない感想を述べられた。引っ張っていた指を離し、痛いと声に出さず口の動きだけで伝えると、困りましたねとしんみりと瞬きをする。いつもよりも数段優しく左頬を包まれ、ゆっくりと撫でられる。頬に触れている指先がぼうっと熱を帯びていた。「痛いの痛いの、飛んでいけ。」小さな声で繰り返される呪いを聞きながら、目を閉じる。自分が些細な怪我をする度に、飽きずに呪いをかけるという儀式染みたことがいつから始まったのか思い出すのは少し時間が掛かりそうだ。
そこそこに怪我をした時があった、確か冬の日だったと思う。動けない程でも無かったのでいつも通りに家に帰ったのだが、どうやらそれが衝撃を与えてしまったようだった。青ざめて何か言いたそうに口を数度開けたり閉めたりしていたが、ぽたりと床に垂れた赤黒い色を見て口をキュッと引き結んで、決意をしたような顔つきで手当てしますから奥へ、とリビングの椅子に先導された。見慣れた椅子に腰掛け、深く息を吐く。漸く張っていた糸を緩められる空間まで来られた。予め大きな怪我をしていないことを告げて、軽くシャワーを浴びてこびり付いた赤いぬめりを身体から流した。何度やっても、なかなか臭いが取れない気がする。生臭い、赤い色が幾筋も排水溝へ吸い込まれる。シャワーを終えてからが大変だった。顔から始まり、丁寧に清潔な布で拭かれ傷口の有無を確認され必要なところにはガーゼが几帳面に留められていた。腕も脚も、殆どが誰かの返り血だった。気が付いていたはずなのに、そのことには何も触れられなかった。一通りは見ましたが他に気になるところはありますか?熱を持っている箇所があれば、流石にお医者に見せないといけません。心配そうに、真剣な目でそう告げられる。有無を言わさない瞳だと思った。「大丈夫。殆どが自分の物ではないし、それに…。明日には治る。」嘘では無かった。尋常ならざる回復力を何故か持ち合わせているらしい自分は、1日もあれば大抵のものは治ってしまうのだ。本来ならいつもどおりシャワーをあびて、消毒もそこそこにで良かったのだが。心配性のこの人物は、そうはさせなかった。「今はどうですか。」まだ心配そうにしながら、指先でガーゼを畳んでは伸ばしている様子を見るとどこか納得していないようだった。折り畳んだガーゼをテーブルへ置き、人差し指で胸を突かれる。肋骨と肋骨の重なる堅い箇所に振動が伝わる。そこに致命傷は負っていないのだが。どうやらそういうことではないようだ。「あなたを守れるほど強ければ良かったんですけど。」数回繰り返して左手はゆっくり広げられた。じわじわと高めの体温が心臓の近くまで、侵食をしてきていた。何処で何をしてきたのか、何も問い詰めることをされなかった。気を遣われてるのか、怖いと思われてるのか理由は確かめようがなかった。聞かれても自分に答えられることはごく限られているので、それを察しているのかもしれない。「痛いの痛いの、飛んでいけ。」ぽつりと呟かれた呪いそれが今日に至るまで続いている儀式の始まりだった。
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