roika_works 【私と君】二人の擦れ違い 忍者ブログ
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 先生の言った言葉の意味を、そのまま受け取っていいのか私は迷っていた。
『原稿に集中したいから、少し一人にしてくれないか。』
私は寂しさはあったが、先生の一ファンでもあるので原稿の邪魔にはなりたく無かった。これまで親しくして頂いていたけれど、それは私が文芸好きだからだったかもしれない。
 『先週は君を傷付ける様な物言いをしてしまい、申し訳無かった。仕事がひと段落したので、またいつでも此方へ立ち寄っておくれ。私は君の来訪を、心待ちにしている。』
此処迄書き終えて、ペンが止まった。これで伝わるだろうか。
君は私に呆れているかもしれないなあ、と言われた訳でも無い心配をした。
 先生からの手紙が届いたのは、昨日の事だった。
三回程読み返した手紙は、引き出しにしまった。
先生は気を遣って、こういった手紙を下さったけれど…。
『迷惑じゃないか』という疑念が、頭から未だ離れなかった。
勇気を振り絞り、先生の家までやってきた。引き戸を開けるかどうか、躊躇ってしまった。
 先々週迄は、この引き戸を開けるのに、躊躇いなど無かった。
深呼吸をして、ゆっくり引き戸を開ける。
「ごめんください、先生いますか?」
この決まり文句も少し声が震える。遠くの方から、はーいと声が聞こえ足音が近づいて来る。
「いらっしゃい。」
久々に会った先生は、いつも通り優しく迎えてくれた。
いつも通り居間に通される。
「先生、これどうぞ。」
菓子折り箱を手渡した。先生は、少し申し訳無さそうな顔をした。
「気を遣わせてすまないね、一緒に食べようか。」
支度をしに台所へ行く先生の後ろ姿は、何も変わっていない。
座布団に座り、見回すと日めくりカレンダーが、先週の月曜日のままだった。
「先生、ご迷惑でしたら言って下さって良いのに。」
君は申し訳無さそうに、ぽつりと呟いた。
「ああ、違うんだよ。締切が近い原稿が、重なってしまってね。君が嫌な訳じゃあないんだよ。傷付けてしまって、本当に悪かった。」
私が頭を下げたら、君は慌てた。
「せ、先生、そんな。頭を上げて下さい。」
漸く頭を上げた私に、君は本当に申し訳無さそうな顔をして目に涙を浮かべていた。
「先生が親切にして下さるのが、どこか当たり前に思う様になってしまっていました…。私はそれに甘えてしまいました。」
きつく握った拳に、涙がぽつりと落ちた。
「先生にとっては、私はファンの内の一人だというのに。」
「そんな事ないよ、君は特別だ。大勢の内の一人なんて事はない。」
不安そうに顔を上げた君の目は、涙でうるりと光る。
「でも…。」
君はポツリと呟くと、口を閉ざしてしまった。もうそろそろ潮時か。
この関係性を壊してしまうかもしれない言葉を口にする決意が、やっとついた。
「私は君が好きなんだ。」
「最初は兄の様に思っていましたが、徐々に変わっていきました。私は…、その、殿方として先生の事を好いています。」
君はつっかえながらも、何とか最後迄言い終えた様だった。
頬が紅潮し、とても緊張している面持ちだった。
「そうか、有難う。有難うと言うのもおかしいか。」
私は独り言の様に言った。
「先生、少しだけ考える時間を頂けませんか?勿論、先生の事は好いています。でも、少しだけ考えたい事があるのです。」
君は申し訳なさそうにそう言った。
「大丈夫だよ、そんなせっつく様な真似はしないから。君の中で結論が出たら、その時は教えておくれ。」
私がそう言うと君は、少しほっとした様だ。
 「ただいま…。」
あの後、どこかぼんやりしたまま、先生の家を後にし自宅へ着いた。
「お帰りなさい、智恵子(ちえこ)。」
母の声で、漸く現実世界に戻る。
「何かあったの?」
ぼんやりしていた私に、母が気が付かない訳は無かった。
「大丈夫。自分で決める事だから。」
母は少し不思議そうな顔で、炊事へと戻った。
自室に戻り、制服から部屋着へと着替えた。
机の引き出しの一番下に気に入った文芸誌がしまってある。その中から、一冊を取り出す。
私が無理を言って先生にサインを書いて貰ったものだ。
先生が少し照れ臭そうに笑っていたのを思い出す。
もしかしたら、私はあの時から、先生が好きだったのかもしれない。
私は次の日に、また先生の家に立ち寄る事を決めた。
あの場では、すぐに答えられなかったけれど、私は先生がとても好きだと気が付いた。
出会いはそろそろ春になろうかという頃合いで、その時は私は先生の作品のファンだった。
作品を文芸誌で見付け、こんな素晴らしい文章を書けるなんて、どのような人なのだろうと毎日思っていたのを思い出す。
実際に先生と会ったのは、先生の家の玄関先だった。
母親から、この近くに小説家が住んでいるという情報を得た私は、ご近所の人に聞いて先生の家に辿り着いたのだ。
先生は少し驚いた様子であったけれど、私を無下に扱う事もなく持って行った文芸誌の表紙に、サインまで書いて頂いた。
あの時の先生の筆の運びは、今でも思い出せる程だった。
私は先生に自分の気持ちを、きちんと伝えなくてはならないと強く思った。
しょっちゅう先生の家にお邪魔する様になってからは、兄の様な感情を持ち始めたがそれはやがて、自分の中で特別な人という感情へと移り変わって行った。
近所の桜を見に行き、河川敷で散歩をし、先生が原稿をしている傍で本を読む。
どれも私には大切な思い出であり、これからもこの様なささやかな幸せをひとつひとつ見付けていきたいと思った。
 「ごめんください、先生いますかー?」
いつも通り、引き戸を開けて奥の部屋に居るであろう、先生に呼び掛ける。
今日はどんよりとした曇りだ。帰り道、道端には紫陽花が幾つか咲いていた。
「はいはい、ちょっとお待ちよ。」
奥の部屋からはガサガサと、紙類(恐らく原稿だ)をとりあえず片付けている音が聞こえた。
私に対して、そんなに気を遣わなくても構わないのにと思ったが、それは先生が決める事だから私がどうこう言える事では無い。
「お待たせ、どうぞおあがり。」
「先生、どれだけ散らかしていたのですか…。」
「まあまあ、たまにはこういう日もあるのだよ。」
こうして自然と会話が出来たのに、自分では少し驚いていた。
昨日は、いつも通りに話せるか、あんなに不安だったというのにそれが嘘の様だった。
私はいつも通り、先生が原稿を書いている部屋へと通される。
そこでは、毎日新作の原稿が少しずつ出来上がって行く。
先生のファンである私には、読みたい衝動に駆られるが毎月きちんと文芸誌を買って読む事にしている。
そうする事で、少しでも先生の助けになればと思うのであった。
「先生、今日は昨日のお返事に来ました。」
「そうかい。では、聞こうか。」
いつもの背中合わせの状態では無く、先生は私の方を向いて座り直した。
きちんと聞こうという態度が行動に表れていて、私も背筋を伸ばして正座をする。
お互いに少し緊張してはいたが嫌な緊張感では無かった。
「私は、先生の事が好きです。」
「うん。」
思っていたよりもするりと言葉が出た。自分でも驚く程だった。
まるで決められていた台詞かの様だ。
「でも、お付き合いをするというのが、私にはまだよく分からないのです。」
「そうか。」
先生の返事は短いものだったが、話を急かしたり腰を折る様な事はしなかった。
先生はそういう事をしない人だと、私は知っていたからこうして時間を掛けてゆっくりだが話せるのだ。


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