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そうこうして、数学の授業になり宿題のワークが回収された。聡史は何度か美咲にヒントを出し、美咲は答えを導き出したようだった。美咲も普段と変わらぬ様子でワークを、回収係の生徒に手渡した。

『ありがとう』

口には出さないが、口の動きで分かった。美咲はそうして、にこりと笑った。数学の授業が頭に入らないなんて日が来るとは、今日まで思わなかった。流れ作業の様に問題を解き、黒板に目をやりノートをとった。聡史は自分でも、少々美咲を意識し過ぎだと自覚していた。しかし、自覚しているからといって、それを止める事が出来るかどうかは別の問題であった。

「聡史、ありがとう。助かったよ~。」
「いいよいいよ、大丈夫。」
「このご恩は忘れません…。」

美咲は大げさに顔の前で、両手を合わせて聡史を拝んだ。

「んな、大げさな。」
「あはは。」

数学の授業が終わると美咲は、少しほっとした様子だった。軽口が叩ける様になるほど、美咲と親しくなれるとは席替え当日には思わなかった。そういった意味では、日直が一緒だったのはひとつのターニングポイントだったなと今になって思う。聡史は美咲に惹かれていっている事は分かっていたが、まだ気持ちを伝えるには時期が早過ぎると思っていた。

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聡史は、美咲からきたメッセージを何回か読み直した。女子とこうした何気ないやり取りをした事が無かったので、変な事を言っていないか今更になって気になってきたのだ。気にした所で、送ったものを消せる訳では無いのだが。

『普通の会話、だよな。』

部活の話、宿題の話、よくある話題だ。こういうのが女友達というものだろうか。その日の後も何回か連絡を取り合った。だが、美咲は返信が遅いと催促する事も無かった。


「おはー、聡史。数学のワークやった?私分からないのがあってさあ…。」
「おはよ。どこのページ?」

美咲がワークを鞄から取り出して、パラパラと捲り始める。それを横目で見つつ、自分のワークを聡史は鞄から取り出して同じようにページを捲る。

「五十六ページの問二のやつ。」
「ちょい待って。ああー、これか。」

確かに少し手強かった問題だ。自分は、なんとか解けたが、美咲は数学が苦手らしい。聡史は、教科書のページを捲り公式を探した。

「これ、この公式使うんだ。」
「どれどれ…。」

ふと、美咲が此方へ身体を寄せてきた。教科書に書かれた小さな文字を見るのだから当たり前だが、聡史は少し焦った。

「そっかあ、それかー。数学の授業迄に出来そうかなあ。」
「分からなかったら聞いてくれ。答えは言わないけど、ヒントなら出せるから。」
「うん、ありがとう。」

美咲はそう言うと、聡史の側から身体を離し自席に戻る。数学の教科書を捲る横顔は真剣だった。聡史は、何焦ってるんだよと自分自身に言い聞かせていた。

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『チア部って、どう?練習大変そうだなって思ったけど。』
『最初入った時は、皆と揃えるのが大変だったよ~。でも、今は楽しいって気持ちの方が大きいかな!』

美咲は高校からチア部に入部したので、入部時は未経験者だった。それが今では楽しく、毎日部活に行くのが楽しみらしい。美咲の文面から嘘や取り繕う様子は全く無かった。聡史は、少し美咲が羨ましく思えた。自分には夢中になれるものが何かあるだろうか。

『楽しいものがあるっていいな。俺、宿題の続きするから返信途切れると思う。』
『分かった!てか、私もしないと!また明日ねー。』

ふつり、と緊張の糸が途切れる。聡史は目の前にいない相手に、何故緊張するのかを考えた。そうだ、美咲の表情や声色が文字では分からないからだ。それで自分は緊張するのだ。何か間違った事を言っていないか、相手に迷惑を掛けていないか、聡史はそういった事に過敏に反応する性格を持ち合わせていた。
目の前のプリントに目を落とし、改めてシャープペンシルを握り分かる個所から埋めていく。時折参考書やノートを引っ張り出し、似たような英文を探し似た様に仕上げていく。英語が苦手な聡史にとっては、こうやって解くのが精一杯だった。数学であれば、もっと早く終わっただろうなあとぼんやりと思う。そうこうして、何とかプリントを仕上げてノートにプリントを挟み込み、鞄に教科書と共にしまう。ああ、やっと一段落だ。風呂でも入って、さっぱりしたい所だ。

『宿題終わった?』
『なんとか終わった。正解かは分からないけど。』
『なんだかその言い方、聡史らしいよね。』
『美咲は良く分かるなあ、そういう所。』
『ふふふ、私結構鋭いのかも。』

美咲がにやりと笑う様子が頭に浮かんだ。聡史は少し、ほっとしていた。美咲の竹を割った様な、真っすぐな性格はとても良いなと思った。

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暫く、聡史は美咲への文面を考え、書いては消しを繰り返していた。そうこうしているうちに、美咲の方から連絡がきた。

『やっと部活終わったよー。聡史は何してた?』

短い文だったが、聡史は自分の鼓動が少し早まった様な気がした。いやいや、気のせいだと聡史は自分に言い聞かせる。

『お疲れ。俺は宿題やったりしてた。』

目の前の机に広がる、英文が書かれたプリントを見てひとつ溜息。終えるには、もう少し時間が掛かりそうだ。

『英語って明日プリント提出だっけ?』
『そうだよ。苦手だから後回しにしてたけど、早くやれば良かった。』
『聡史は文句言いながらでも、ちゃんとやるじゃんー。やらない奴もいるけど。』

確かに同じクラスに、宿題をやって来ない人間も少数だがいるのは確かだ。でも、自分は褒められたものだろうか。

『美咲は英語得意だからいいよなあ。』
『少し得意なだけだからね!』

美咲が笑ってそう言う声が聞こえるようだった。

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帰りがてら、ふと美咲と連絡先を交換した事を思い出す。最初は何て送るべきだ。放課後のこの時間帯は、部活中であろうし気が散る様な真似はしたくなかった。夜でいいか…と、聡史は一旦考えを中断し最寄り駅へと足を運ぶ。自分も怪我さえなければ、今頃は野球部に入部していただろうか。野球は好きだった。しかし、自分の身体を壊してまでやる事に抵抗があったのだ。この学校では、甲子園はおろか、地区予選ですら危ういと冷静に思う。ここまで考えたが結局のところは、故障した肘に無理して負担を掛けるのが怖かったのだ。中学の時は軽度で済んだが次はどうなるか分からない。自分は野球とは縁を切った身なのだ。漸く駅の改札口を抜けて、電光掲示板を見上げる。次の電車は三分後に来るらしい。

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日直の当番が同じになった日から、挨拶はする様になった。美咲は誰にでも分け隔てなく接するので、自分だけが特別では無いと分かっていた。そう自分に言い聞かせた。美咲の事を、聡史はあまり知らなかった。入っている部活や、学校関連の事は多少分かる様になった。好きなアーティスト、好きな風景、行ってみたい場所。プライベートな事は、何も知らなかった。聡史はもっと美咲の事を知りたいという、思いが日に日に強くなっていた。

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静かに文庫本を読んでいた、男子学生。それが聡史だった。少し話し掛けにくい雰囲気を纏っていた聡史は、それでもクラスの中では浮いていなかった。美咲は今回の席替えで隣になるまで、聡史と殆ど関わりがなかった。それは、お互いに共通項が殆ど無かったからである。しかし、席替えで席が隣になった時に、

「松井、よろしくな。」

と短く挨拶をしてくれた聡史に、美咲は今迄抱いていた印象が変わったのである。人付き合いが苦手というよりも、照れが先に来るという事だと分かった。

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【登場人物】
■桐ヶ谷 聡史(きりがや さとし)
高校2年生の17歳。誕生日は4月4日。趣味は読書。サスペンス物が好き。得意な教科は、数学と科学。苦手な教科は、英語。部活は中学卒業時までは野球部であったが、肘の故障もあり高校では帰宅部である。本を読む事は好きだが、自分で書くのは苦手なため、文芸部などには入らなかった。友達は多い方ではないが、苛められる事も無い絶妙な立ち位置になっている。頭の中で考えている事が、たまに口から出ている事があり友人にそれを指摘されることもしばしばある。性格はかなり慎重派。事前に調べたりしないと、なかなか重い腰が上がらない。その為、優柔不断と言われることもある。高校最寄り駅から5駅分離れた場所に、家がある。家族構成は、父・母・聡史・妹となっている。

■松井 美咲(まつい みさき)
高校2年生の16歳。誕生日は11月8日。音楽を聴いたり、ファッション雑誌を見たりと、至って普通の女子高生らしい趣味である。得意な教科は、強いて言えば英語。理数系は苦手である。中学では、バレー部にだったが、高校からチアリーディング部に所属している。学校では同じチア部員達と、行動する事が多い。サッパリした性格だが、間違っている事や曲がった事が嫌いなタイプ。性格がキツイと思われがちで、チア部員以外のクラスメイトからは、話し掛け難いと思われている。学校までは自転車通学をしており、片道大体10分前後。家族構成は、父・母・祖母・兄・美咲、となっている。

■篠原 愛奈(しのはら あいな)
高校2年生の17歳。誕生日は8月22日。美咲と同じチアリーディング部に所属している。聡史の事は顔は知っているが、話した事が無いので美咲が仲良さそうにしているのを不思議がっていた。趣味はネイルアートだが、校則でネイルは出来ないのでネイルチップを作ったりしている。中学時代は陸上(中距離)をしていた。美咲とは中学時代からの、友達で互いに親友と呼べる仲である。性格は陽気な方だが、初対面の相手とは上手く話せないタイプ。仲良くなると徐々に、甘えてくる。学校までは自転車通学をしており、片道大体15分弱。家族構成は、父・母・姉・愛奈、となっている。

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「なんで、そこで笑うのよー。」美咲は愛奈の脇腹をくすぐった。愛奈は笑いながら、ごめんごめんと謝る。「桐ヶ谷って結構話す方?」と美咲は昨日の事を思い出す。「どうだろう…。思っていたより話してくれるよ?」美咲は聡史との会話を、断片的に思い出しながら考える。聡史は優しいよ、と思い至る。

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「美咲って、桐ヶ谷と仲良いの?」同じチア部であり友人の、愛奈(あいな)が不思議そうな顔をしていた。「この間日直一緒だったから、友達になった。」そう言うと愛奈は、そういう所は美咲らしいよねえと笑った。「桐ヶ谷ってちょっと怖いイメージあったけど、全然そんな事無かった。」と美咲は呟く。

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